人を笑わせた原体験について
僕は人を笑わせるのが好きだ、好きです。面白いと思ってもらいたい。こんなこと言うと、ハードルが上がるんじゃないのと思うかもしれませんが心配はいりません。実際は全然面白くないみたいです。
自分では面白いと思っているのに、ココだ!と狙ったところで人が笑ってくれないのです。しかしどういうわけか、狙ったところじゃないところにおかしさを感じる人が多々いるのです。致命的ですね。
いやべつにお笑い目指してる訳じゃないのですが、自分を客観視するのに長けてないのは困りものです。以前、「家で素振りしてる」って言っただけで大ウケされました。何がおかしいんだか。するでしょう、素振りくらい。
みなさんは昔、どんな話で友達を笑わせましたか?笑わそうとしてちゃんと笑わせた初めての体験というのを、僕は覚えています。
それは小学校1年生のとき。給食の準備中、椅子に座りながら「いただきます」の号令を待っていました。友達か僕か、どちらから始めたかは覚えていませんが、静電気を帯びたストローの袋をくっつけ合う遊びが流行っていました。その際、摩擦の力でより多くの静電気を集めようとします。下敷きしかり、教室ではよく行われている光景ですね。僕はストローを挟んだ手を、まるで祈るように大げさに上下して擦りました。すると、周りの一堂が笑い転げたのです。その日から学級のスターに、ということはないのですが、何かが変わるような気はしていました。笑わせることを期待される立場でいることに快感を覚えてしまったのです。その日からスランプです。
面白いと言われることがあっても、何を面白がってるんだかわからない。けど、人一倍笑わせたい。神様はずっと酷ですね。奇しくも5月19日は『ボクシングの日』、みなさん笑いについて考えてみてはいかがでしょうか。